キュウリ汚染

キュウリのにおいに耐えられない。キュウリを食べると吐き戻してしまう。キュウリが触れていたレタスなども、既にキュウリ汚染をされており、食べると気持ち悪くなる。これは精神的な問題ではなく、キュウリのにおい分子が付着することによる汚染である。だから、洗ったらいくらかましになる。また、ある程度の距離からでもキュウリのにおいは嗅ぎ分けられる。香味野菜よりも強く、カレーや焼き魚並みのにおいだと考えてくれればいい。
他の人は、キュウリのにおいをあまり感じないらしい。においというのは、におい分子というのが鼻腔の粘膜にひっついて、感じられるのだが、おそらく、キュウリ分子に対する受容体が発達しているのだと思う。今までの人生で百人以上と偏食について話したのだが今までの人生で一回だけ、キュウリのにおいが耐えられないという同士と出会ったことがある。キュウリ嫌いは、確率的にはけっこう小さいと思う。一般的にはキュウリは人気があるようだ。だから、あれだけ蔓延している。
しかし、僕は気づいたのだが、これはおそらくふつうの好き嫌い・偏食ではない。僕は、偏食もあり、特にトマトと酢酸のすっぱさが嫌いなのだが(レモンやクエン酸は好き)、そういうものとは根本的に違う。幼い頃のトラウマや、食事傾向による偏食とはおそらく関係ない。においに対する感覚レベルの問題である。たぶん、遺伝的なバックグラウンドがあるはずだ。そうでないと、感覚受容レベルでこれだけの差は出ないだろう。
ちなみに、メロンや西瓜もあまり好きではない。瓜系のにおいが苦手なのだ。瓜に含まれる成分の嗅覚的な受容に問題があるのだ。ピクルスは瓜のにおいがしないので、酢酸っぽいので好きではないが、まあ、平気である。
においや味に対する感受性は、視覚や聴覚と比べて個体差が激しい。+の方向では、グレープフルーツジュースが心の底から好きである。あの香りと苦みが最高である。グレープフルーツの香りには、気分をアップする効果もある。
最近、薬味のおいしさもわかってきた。長ネギも好きである。においについては、いろいろと探求しているので、また書こうと思う。香水もアロマテラピーも好きである。全般的に鼻がいいのは認めるが、キュウリに対する感受性は異常だと自分でも思う。

何が言いたかったかというと、キュウリ汚染というものの存在を周囲の人に一般的な概念として知らしめる必要がある、ということが言いたかったのだ。そうすれば、例えば、ベジタリアンの人のように、反キュウリ汚染主義者なのね、と理解も得やすくなる。
トマト嫌いな人はけっこう多いので、反トマト主義者の方が動員を組織しやすいかもしれない。
ベジタリアンには多くの種類がある。宗教系・動物愛護系・健康系・偏食系などがメインの分類だろう。偏食系ベジタリアンというのは、単なる肉嫌いなのだが、それでも、ベジタリアンというだけで、社会的な優遇措置を受けられることがある。例えば、機内食とか。このように、自分が食べられないものを社会に認知させれば、優遇措置が受けられるかもしれない。僕の場合、トマトはまあひどく不味いものではあるが、嚥下できないものではないし、周囲の物質を汚染することもないので、それほど周囲に訴えるメリットもないのだが、キュウリだけは許せない。例えば、多くのサラダに犬の糞が入っており、なおかつ周囲の誰もそれを不思議とも思わず食べているという状況を想像してもらいたい。キュウリとはそれほどの恐ろしい物質なのだ。あれは断じて食べ物ではない。
というわけで、僕と食事をともにした際に、キュウリを始末するよう依頼されたら、快くキュウリを始末して(食べちゃって)やってほしい。