貨幣の割引率の理由

未来傾斜の意味するもの

経済学や経営学では、未来の収益を考える際には、それを割引率というもので割引いた上で、現在価値に直して評価することが、ごく当たり前に行われている。実際、欧米の教科書では(そして直輸入の日本の教科書でも)、投資評価の際に、投資の収益を考えるときには、現在手元にある現金は、例えば三年後に手に入る現金よりも価値が高いという発想に基づいて、将来の収益を現在価値に割引いて評価される。つまり未来の収益を割引いて考えるということが当たり前のように書かれているのだ。ところが、どうも日本企業はこの考えになじめず、そうはしていないのでないかと言われている。だいたい、こんなことをしていたら企業が十年後の将来のための投資計画を考えることなどおよそ不可能になるではないかという批判もあるのだ。それでも、未来は割引かれるものだとの発想自体が否定されたことはない。
 私が大学院生の頃、ダイナミック・プログラミングの演習に参加していると、理学部出身のある先生が、私にこう尋ねた。
「でも高橋君、今までずーっと不思議だったんだけど、どうして経済学や経営学の分野では割引率をモデルに入れるんですか?」
「それは多分、割引率を入れないと、値が発散してしまうからではないでしょうか?やっぱり何かの値に収束してくれないと、モデルを比較したりできないし、最適解もわからないし……」
「そんなテクニカルなことはわかっているけど、本質的にはどんな意味があるの?」
「経済学者は何でも均衡するのが好きなんですよ。」


20年遅れでよみがえる「日本的経営」の亡霊

くだらなさにとどめを刺すのが、最後の「未来傾斜原理」とかいうやつだ。「組織への帰属意識は未来の長期的関係の割引現在価値で決まる」というのは、ゲーム理論で1971年に証明された「フォーク定理」だが、これが成立するには、長期的関係が永遠に続く(割引因子が十分高い)という条件が必要である。今までと同じ経営をずっと続け、全員の雇用が保証できる高度成長期なら、こういうメカニズムは成立しえたかもしれない。それが「日本的経営」の強さの源泉だった。しかし、今はその「会社が永遠だ」という根本前提が崩れたのである。


なんで、現在のお金の価値の方が、未来のお金の価値よりも高いのか。
貨幣の割引率の理由って、結局は、人は死ぬからだよね。

社会科学で割引率を導入するのは、社会科学では有限なスパンでものを考えるから。経済学はそもそも有限な資源をいかに配分するかという学問だし。自然科学だと無限を使うことが多いのかな。

朝三暮四ってのは経済学的に考えると、猿の行動は正しいんだよね。朝三暮四を嗤うのは、いつ死ぬかわからない現実に基づいて行動していない人間だと思う。(まあ、あまりに短期スパンの思考を揶揄する寓話なんだけど、ハイパーインフレ下の経済では猿の方が合理的な行動だし。)

割引率ってのは、死ぬリスクを示す。おおざっぱに言えば、インフレ調整後で割引率10%ならば、毎年10%の確率で人(か法人)が死ぬ。死ぬリスクでは定式化できないのかな。まあ、割引率の評価方法はいろいろあるけど、結局人が死ぬのが未来より現在のほうが価値があることの根本原因でしょう。
現在の効用の方が未来の効用より高いと考えるのは、合理的経済人を仮定した場合、死ぬリスクがないと当てはまらない。合理的経済人は人生というスパンでの消費を最大化しようとするのだ。(遺産も含めたモデルも最近はあるけど、それってどうなんでしょう)
消費者の死亡率による個人的割引率の変化とか、行動ファイナンス的実験で計ってみたらおもしろいかも。年を取って死亡率が高くなるほど割引率が高くなる。子どもが死にやすい国では子どもの割引率が高いとかね。いや、子ども的な合理性では割引率は高くなるのか。保険数理でありそうだけど、ぐぐった程度では出てこなかった。

資本のような存在(法人とか)は、終焉をきちんと考えると価値が低くなる。(不動産とかいっぱい持ってて清算する際の死体としての使途→価値が残っていて高い場合もあるけど)ゴーイングコンサーン(永続企業)じゃない企業の価値は低くなる。
まあ、そこら辺は市場でもわきまえていて、ふつう20〜30年で死ぬものと考えて株価がついてる。(PER=株価収益率が20〜30倍)成長も考慮してある場合はもっと高くなる。

Google IPO:未公開企業の価値の計算

企業価値算定の理論的根拠ってまちまちなんだよね。。。
ファイナンスを学習中なのだが、数学的定式化はきちんとしているのに、哲学的基礎付けがあんまり書いていないからわかりにくい。文献漁りが足りないだけで誰か書いてるとは思うけど、発展中の分野だしなあ。