ジャンケン必勝法

ジャンケンは、ちまたに思われているような運のみによって結果が決まるようなゲームではない。
ジャンケンは複雑なゲームである。例えば、欧米にて一般的に意志決定に使われている(例えば、サッカーの陣地とボールの決定)コイントスと比べてみれば明白である。コイントスは、コインを打ち上げた人の相手がコインの裏表を選択し、裏表を当てるというゲームである。そのことで、恣意的に勝敗を操作しようという行為を極力出来ないようにしている。

しかし、ジャンケンはそうではない。ジャンケンは相互に選択可能な手が三つある、コミュニカティブなゲームである。
ジャンケンは、グー、チョキ、パーという三すくみで勝敗が決まる三種類の選択肢から、一つを選び、相手の手に対して勝てる手を選び、出し、勝つというゲームである。ここで、重要なのは、あいこの存在である。あいこが存在することにより、単なる二者択一のゲーム(例:コイントス)ではなくなっている。要は、勝つことではなく、負けないことを選択できるようになっているのである。最終的に勝てばいいために、通常の戦略としては勝てる手かあいこの手を選べばよい。そうは言っても、相手が出す手がわからないのだから、三種類を同じ確率で出すという混合戦略が必勝パターンだと思うだろう。
しかし、ジャンケンにおいて、通常はコミュニケーションが禁じられていない。ここに相手の手の操作可能性がある。(なので、ルールとして、かけ声以外の言葉を喋ることを禁じるというのを、取り入れると、ランダムさが増し、運によって勝敗が決まるようになる。といっても、グーチョキパーの順番で出したり、同じ手を何度も連続して出したりしないと言った、人間特有の選好の歪みはある)

というわけで、肝心の必勝法であるが、それは、「私はグーを出す」と宣言してしまうことである。こちらがこのようなブラフ(はったり)を言うことで、通常の場合、相手はその発言が本当かウソかと疑心暗鬼に陥り、考えてしまう。そうすると、相手から見て、本当はグー、チョキ、パーのただ単に3つある選択肢を、グーに勝つパーと、グーとあいこのグーと、グーに負けるチョキであると、勝ち負けの2つの選択肢に縛られた3つの選択肢であると錯覚してしまう。(単なる三つの選択肢を、こちらの言葉が本当かウソかという2つの条件がついていると、みなしてしまう。これは、二者択一的な思考パターンを人間はしやすいためである。また、自分は負けないことを選択しているのに、こちらは勝とうとしていると思ってしまう。これは、リスク回避的な選好を多くの人は持っていて、かつ、ブラフを言うような攻撃的な他人がリスク回避的であるとは通常は思わないためである)
相手としては、こちらが本当「グーを出す」を言っている場合は、グーにあいこか勝てる手であるグーかパーを出せばよく、こちらがウソ「グーを出さない→チョキかパーを出す」を言っている場合は、相手がパーで勝ちに来ると読んでこちらがチョキを出してくると予想されるために、グーかチョキを出せばよい。この二つの条件の中で、安全な選択肢はグーである(こちらが本当のこと言っている場合は引き分け、こちらがウソを言っている場合は勝てる。これなら、なんだか道徳的に心も痛まないような気もする?)相手が本当のことを言っているとウソを言っているという与えられた条件から、論理的に考えると帰結される答えは、上記のように、グーだから、たいていの場合は、相手はこの手を出す。
しかし、実は、提示された選択肢自体が罠である。相手がここまで考えることを予想して、こちらはパーを出せば、たいていの場合は勝てるし、そうでなくとも負けないことが多い。こちらがこのブラフを言った場合に、このブラフ「私はグーを出す」が相手にとって「(こちらが相手に)勝とうとしていて本当かウソ」ならば、相手から見て「こちらの手はグーかチョキが出る」ため、相手にとって、パーは勝ちか負けであり(リスク愛好的選択)、グーは勝ちか引き分けであり(リスク回避的選択)、チョキは負けか引き分け(マゾヒスト的選択)である。人は、なかなか負けか引き分けとわかっている選択肢を選べないものだ。特にこちらがグーを出してきた場合は、わざわざ負けてやったようでくやしいであろう。
また、捉え方によっては、これは、モンティホール問題において、モンティが言う情報が偽者であった場合にあたる。つまり、相手のベイズ確率推計に間違った情報「(こちらが相手に)勝とうとしていて本当かウソ」=「こちらの手はグーかチョキが出る」=「こちらはパーを出さない」という情報を与えていることになる。相手にとってのその場合の選択肢は、前述の、パーは勝ちか負けであり(リスク愛好的選択)、グーは勝ちか引き分けであり(リスク回避的選択)、チョキは負けか引き分け(マゾヒスト的選択)である。相手にとっての、パー(リスク愛好的選択)とグー(リスク回避的選択)の間で、モンティホール問題が起きると同時に、チョキ(マゾヒスト的選択)が選択肢から除外される。だが、これは擬似問題である。ブラフがモンティホール問題の設問を構成していると思うこと自体が罠なのである。
なので、相手が第一回目の第一ジャンケンでパーを出してきてあいこになった場合、第二ジャンケンではブラフで宣言する手を変えて、同様のことを行えばよい。(自分が宣言する手に勝利する手を自分が出すようにすればよい)ブラフを含んだジャンケンでは、ベイズ確率推計に基づいて手を決定する相手である場合が多いので、何回か行っていれば勝てる。心理的な罠→数理的なふりをした心理的な罠が仕掛けられているのである。ゲームの構造を形成する心理モデルを操作することで、実際の確率(客観確率ベイズ確率どちらにせよ)ではなく、条件付のベイズ確率推計に偽の情報を与えるという形式に追い込んでいく。
ちなみに、第一回目ではこれで必勝である。まあ、第二回目以降は、パターンを読まれてしまい使えないことが多いので、ランダムな混合戦略に移行するしかないけど、ちょっと使ってみるには興味深い方法である。その際は、意志決定に関わらない遊びの分野で使うことを勧める。これは、ジャンケンをランダムな選択に使用したい人にとっては、卑怯な方法だからね。

本当はより多くの選択肢があるのに、勝ち負けの二つの選択肢で物事を考えさせられていないだろうか。また、人は勝ち負けを目指して動くと思っていないだろうか。そのような思考法は、利用されやすい。特に、ジャンケンにおいては危険である。他にも、動体視力やかけ声による催眠誘導を生かした微妙〜な必勝法がいろいろある。なので、ジャンケンによって意志決定を行うように強制されるような状況には抵抗した方がよい。(なぜ、ジャンケンで雑務の割り当てを決めようとするのだ)日本でもコイントスの普及を望む(いや、基本的には話し合いで決めるべきっしょ。コストはかかるが、偶然で決まるより納得性が高いと思う。まあ、地震などの天災が多いために、偶有性(たまたまそうであること)を受け入れやすい文化が日本にはあるため、ジャンケンでの意志決定が普及しているのではないかという話もないことはない)

(勝ち負けの二つの選択肢によって、物事を考えさせられているような状況(例えば、競技スポーツ)では、合理性の幅が狭くなりがちである。より幅広い選択肢を考慮した合理性をもとに行動するといろいろと楽しくなると思う。


参考文献:
【ジャンケン必勝法】
これの、ブラフによる必勝法は、今回の記事と言ってること同じだ。「賭博黙示録カイジ」のジャンケンゲームでも、同様の方法を行っている人がいたはず。まあ、心理経済学・認知心理学ゲーム理論ベイズ確率の概念を織り交ぜて、当ブログでは詳説したってことで。


俺の雑文-watanabeyusuke式ジャンケン必勝法(PAT.P.)