年齢差別批判:ポリティカリーコレクトな発言の提案

人種、性別、宗教、国籍、身体障害、性的嗜好、又は年齢による差別を奨励しているサイトは、アマゾンのアフィリエイトプログラムでは禁止している。
いい話である。たぶん。

アメリカのポリティカリーコレクトネスでは、上記のものは一般的である、と思う。だから、アマゾンで規定されているのだと思う。日本では、年齢以外は、まあ一般的かもしれない。性的嗜好はよくわからないが。日本国の法では後者二つは規定されていない。
これは、公的な場でのポリティカリーコレクトネスにおいての話であり、個々人の感想については問わない。
日本では、わりと公的な場において、年齢差別的な発言をする人がいて、それが批判されない風潮があり、驚く。もっと問題になってもよさそうなものである。若年者に対する敬語の強要や、老人に対する引退勧告などいろいろある。
若者として年齢差別を批判していくことは実利に直結するので、行っていかなければならないと思う。男女差別撤廃のように、年齢差別撤廃を訴えていくことは、戦略的に重要である。風潮を早めに変化させておかなければ、現在の若者世代の生涯利得に影響することになるだろう。

年齢差別というものは、原理的には人種や性・国籍による差別と変わらない。個人の意思で変化させることが難しい個人の属性によって、抑圧的な扱いをすることである。
幼児・少年や痴呆でなければ、年齢による能力差はさほどない。また個体差も大きい。ジェネレーションバイアスによって、能力差を属性に基因させるのは誤っている。
構造的に大きく違うのは、誰もが差別される立場を経験し、差別する立場となるということだ。つまり、立場の非対称性が時間的・可変的なものである。
可変的な差別意識としては、階級差別がある。これも成り上がれば変えられる。
これらの特徴としては、弱いものがさらに弱いものをたたくという差別の仕方が、時間的に遅れて出てくることである。成り上がり者が貧者をいじめる逸話や、抑圧的組織において先輩が後輩に自分が受けた仕打ちを繰り返す逸話、虐待経験者が虐待を行う逸話は、よく聞く。幼児虐待の事例などから、傾向として統計的に確かめられるようだ。
臨床心理学によると、このような負の連鎖を断ち切るには、まずは、虐待や抑圧を許す状況を破壊し監禁状況をなくし、次にきちんとしたケアを行うことが必要であるらしい。
しかし、システムを変えて、できれば文化も変えることが、抜本的な解決策である。
まずは、ポリティカリーコレクトな発言の新しいモードとして、日本でも、年齢による差別が、公的な場においては禁止されるべきであると思う。

上記の議論、ものすごくまともでポリティカリーコレクトと思うのですが、あんまり受け入れられなかったりするんだよね。だから、感情的説得を試みると、
「年上の人に対して年下の人は敬語を使うべきだ」と「親に対して子どもは敬語を使うべきだ」と「富裕階級に対して労働者階級は敬語を使うべきだ」は、構造も含めて同型。「男性に対して女性は敬語を使うべきだ」「白人に対して黒人は敬語を使うべきだ」「アメリカ人に対してアラブ人は敬語を使うべきだ」「健常者に対して身障者は敬語を使うべきだ」「ヘテロセクシャルに対してバイセクシャルは敬語を使うべきだ」はほぼ同型。
(敬語について話しているのは例示であって、敬語は敬意や人の親近感に合わせて使い分けられるものであって、属性に基づいて敬意を抱くことを強要するのはひどいという話をしている)

学校教育が年齢差別を強化しており、それによって規律訓練を受けた度合いによって、年齢差別的な発言に対する感じ方に違いがあるだろう。また、日本語では兄弟や姉妹や叔父伯父と言ったように年齢によって区分する言語体系になっていることも関係しているであろう。
しかし、年齢差別的な発言に合理性はほぼなく、また、差別主義者だと非難されるか・よくても愚劣な人間であると思われるため、そのような発言は慎んだほうが、社会生活を送る上で都合がよいと思う。

なんで、こんな当然的なことを書いているかというと、ポリティカリーコレクトネスと自由な思考について考える文章についてのイントロダクション部分としての側面と、常識人だと思っていた人がネタでも何でもなく年齢差別的な発言をすることがけっこうあったためそれに対する対策の側面がある。
男女差別的な発言も少なくないが、年齢差別的な発言はもっと多い。まあ、法的なフレームワークもそうなっている部分がけっこうあるし、言語的なフレームワークもそうなっている部分があるから、ある程度仕方がないが、道徳イデオロギーとは関係なく、合理性のみによって判断は可能なので、ある程度明晰ならば、判断できるはず。道徳イデオロギーは間違いが多いが、差別に対してはほぼ正しい。学校で監禁されて子ども時代を差別されて(法的に子どもは差別・保護されるよう決められている)いるうちに、環境変化によって合理性が変化していることについていけなくなっている人が多いのだろうか。大人になっても会社に監禁されるなど抑圧的環境に馴らされているからだろうか。よくわからない。

学校における人権抑圧の社会的影響についての参考文献
人権教育論
前に書いたジェンダーバイアスに対する批判や政策
ジェンダーバイアス・家族制度の解体