スーツとアナログ時計と紐靴

DQN(Dumbly Qualified Negligence =「愚かにも(正しいものと)認定されてしまった怠慢、あるいは失敗」)

変えられないDQNはない、変えられないことがDQNなのだ圏外からの一言

スーツとアナログ時計と紐靴というのは、古いアーキテクチャが固定化してしまった例である。
スーツはカジュアルな格好に、アナログ時計はデジタル時計に、紐靴はそれ以外の靴にという代替案がある。

スーツは通気性や着心地はよくなく、見た目もそれほど美しくはないものが多い。(着物のように様式美を楽しむには悪くないのかもしれないが)
フォーマルな場でフォーマルさを表すのに、ドレスや他のフォーマルな服を着ればよい。もっと性能のよい・美しい服がデザインできるはずだ。制服的なデザインでもよい。強制的に着せられる皆ほとんど同じ服という風習をやめることで得られるものは多く、失うものは少ない。同調圧力の維持はくだらない。

アナログ時計は読みにくい。僕はアナログ時計を読むのが苦手である。訓練を怠ったからだろうか。瞬間的に読むことができない。
短針に着目すると瞬間的に把握しやすい。これが読むコツだと思う。読む訓練書を見たことがないが、昔考えたことがある
しかし、短針(時間針)と長針(分針)は逆にしたほうが読みやすいと思う。時間のほうが大事で、分のほうはさほど大切でないのに、なんで時間針のほうが短いのか。時間を把握しにくい。そもそも分の把握をアナログ時計で行うのはやりにくいのだから、時間の把握に特化すべきだと思う。
そもそも、24時間60分制は、現在の社会に不適応で、わかりにくいので、10時間100分制にするのがよいと思う。

紐靴というのは、結ぶのがめんどくさい。しかも、ほどける。リボンやネクタイのような装飾品としては残っていてもよいが、スニーカーに紐靴を使用されるとつらいものがある。
フィット感や通気性といった性能がすばらしい一時期のナイキのハイテクスニーカーが好きでいくつか買っていたのだが、最近は紐スニーカーが多くてつらい。革靴やローファーは性能面が好きになれない。

デジタル時計とハイテクスニーカーが好きで、携帯電話とハイテクスニーカーで満足しているのだが、スーツのようなものを着る馬鹿げた風習に馴染んでいかなければならない状況に苦しんでいる。
スーツが多くを規定する。スーツを着て満員電車に乗るような世界でなくすることはできないものだろうか。