感情教育

感情教育byフローベール

感情というのは還元すると一つしかない。興奮である。
それが快と不快に分かれて、喜怒哀楽に分かれて、高次の感情の実質となる。
感情というのは、実質・表出・脈絡から構成される。
#1.実質=喜怒哀楽の感じる感覚そのもの
#2.表出=それを伝える仕草や言葉
#3.脈絡=それを感じたときの前後の脈絡

123.実質・表出・脈絡がある感情が一般的感情
23.実質のない感情は、演技。(似非罪悪感など)
13.表出のない感情は、抑制。(嫉妬など)
12.脈絡のない感情は、発露。(感傷など)
1.表出と脈絡のない感情は、気分。(多幸感など)
2.実質と脈絡がない表出は、意味不明。(狂気など。実質は常にあるとすべきだが)
3.実質と表出がない感情は、お節介。(嫉妬すべき状況など)

高次の感情には、脈絡が必須である。脈絡なく嫉妬したり羨望したり虚栄心を感じたり優越感・劣等感を感じたり、優しさを感じたりすることはありえない。羨望してるような気分は、ただの怒りや悲しみだろう。優しい気分は、ただの楽しさや喜びだろう。
そこで、まず、脈絡を、実質や表出から分離する。そうすると低次の感情(意味不明な喜怒哀楽)しか感じて表出しなくなる。脈絡を分離すると、罪悪感などの感情をあまり感じなくなるので割と困る状況に追い込まれることがあるので、脈絡を把握する能力の強化を行って演技力を身につける必要がある。
次に、表出を、実質から分離する。そうすると実質(喜怒哀楽みたいな感じ)しか、感じなくなる。能面みたいに感情の変化に乏しい人だと思われるので、注意する必要がある。
そして、実質を快(喜楽)と不快(怒哀)に分解する。不快感に脈絡がなく表出もないので、苦味や酸味や辛さのようなただの興奮である事に気づく。そうすると、たとえば、悲しさや怒りの楽しみ方がわかる。(コーヒーの美味しさ)
喜怒哀楽というものはすべて興奮なので基本的にはアッパーなもので、悪くない感じだ。興奮か抑制を主体的に感じるようにすれば、倦怠感にも耐えうる。アッパーな感情を純粋な形で楽しむことによって、ダウナーな倦怠や憂鬱の無意味さ(脈絡・表出のなさ)と親和する。

感情の発達を行った後、分解するのも悪くないし、社会性を身につける上で必要となる。自律的な人間になれるだろう。所属感や尊厳感のような他律的な欲求に惑わされないで済む。知的快楽に支えられたある程度強度を持った目的合理性を加えれば自己実現の欲望を増大させ社会性ある生活もできるだろう。

しかし、実質・表出・脈絡三拍子揃って供給されている生活というのは、さほど目的合理的ではないが、ナイーブで心地よさそうではある。脈絡のない生活は能天気すぎる。表出のない生活は自閉症か。実質のない生活は倦怠で憂鬱である。

解決法として、
能天気→23.演技:脈絡に合わせて振舞っているうちに三位一体にできるはずだ。
ナイーブ→13.抑制:天真爛漫で生きていける環境でない場合のみ抑制が必要。
自閉症→12.発露:笑ったり泣いたりする真似をしてるうちに表出できるようになる。
という分解で、解決できる。
実質がない倦怠や憂鬱は、実質をつくり出すしかない。感情の基礎が実質だからだ。
薬物投与・恋愛・ギャンブル・修行、実質をつくり出す方法はいろいろとあるが、これは需要サイドの政策で、マネーサプライの供給・インフレターゲット財政出動・通貨安の誘導である。まず、これが非常に大切である。特にマネーサプライの供給(薬物投与)が大切だと思う。
供給サイドの状況(表出・脈絡)の改革も同時に進める必要がある。不快状況の削減・快状況の増大を行うには、構造改革・新産業育成である。不快も快も興奮の一形態なので、アッパーな感情そのものを楽しめるようにすることで、実質を増やせる。喜怒哀楽な状況を意味もなくつくり出していると興奮状態をつくり出せるようになるかもしれない。

神経伝達物質を通貨とした心的経済論を使った、感情教育の方法論を思いついたので書いてみた。企業と市場のシミュレーションの課題にしよう。

応報論理からの離脱――公平性のゲーム理論の現在と課題――

ゲーム理論を使って、高次の感情を決定する理論をつくりたいなあ。脈絡ベースでだいたいつくれるからさ。
情状酌量って好きになれない法学概念なんだけど、法哲学のほうでもおもしろい研究が出てるかも。
マイケル=ハートって法哲学者が分析哲学系でおもしろかった。