シリコンバレー的極左

稲葉振一郎の「地図と磁石」@HotWiredの連載

第10回 番外編:「ネグリ&ハート『〈帝国〉』をダシに、マルクス主義を総まくりする」(下)

共産主義社会のイメージは、若いときのラフスケッチ『経済学・哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』などからある程度伝わってくる。ごく簡単に言えば、生産力の発展が高度になり、事実上すべての財が経済学的にいうと自由財に――環境破壊が問題になる以前の空気や水のように、その生産と保全に付いていちいち考慮したり努力したりする必要がないものになるのがまず大前提である。そういう条件のもとで、私的所有制度が不要になり、持てる者持たざる者の差別もなくなるし、限られた富をめぐる競争、闘争の必要もなくなる。更に人間活動における労働と遊びの区別も消滅する。もはや人間はしたいことをすればいいだけである。
 このヴィジョンにも当然いろいろ問題はあるのだが、それを支えているのが近代の善き契機としての、個人の自由の尊重、を継承した上で、対立のない共同体を再建しようという意志であることだけは、とりあえず確認しておこう。


まあ、マルクスが言うようなビジョンにはいろいろ問題はあるけれど、これって実現できると思って実現しちゃうのがシリコンバレー極左だと思う。
コンピュータやロボットや誰かが仕事をしてくれて、したいことだけやって生きていける世界は一部で既に実現しているし、先進国においてはそこまで行かないでも随分いい状況が実現できている。
現実に実現できている。すげー。と僕なんかは思ってしまう。(発展途上国や地球環境なんかへ影響を与えているし、それは問題なのだけれど。人々の生活においてリアルではない。コスモポリタン的倫理や世代間倫理を気にしなければ、実現できている)
ドゥルーズ=ガタリの言ってるようなことを情報技術革命は実現してるんじゃね?と思う。
もちろん、日本が安い電化製品や自動車を大量生産したってのも、実現することに一役買っている。
まとめられないので、雑感とならざるをえないのだけれど、「したいことだけして生きていける世界」を実現できると思って実現するのはやっぱり素晴らしいよね。

・理想とビジョンを好む。
・自由を過度に好む。
・進歩を好み、技術と科学によって、多くのことが解決できると信じている。
・合理的である。
・市場と組織のいい部分を利用する。
こんな価値観にシリコンバレー極左と名付けて好んでいるのです。
理想主義・自由主義進歩主義・合理主義・資本主義。。。
批判されたりもするけれど、結局こういう価値以外の、伝統とか調和とかには全体主義的な抑圧を感じてしまって受け付けない。
自由→対立のない共同体か、対立のない共同体→自由か、人類は前者を求めて突き進んできた。見直し要求も出てる。だけれど、自由を犠牲にするくらいならば、滅亡してもいいのではないだろうか。価値の深刻な対立を考えた場合、いつもそう思ってしまう。
(ここら辺の論争や基礎付けを、きちんと説明すると長いんだよなあ。blogを書いているときちんと説明したくなってしまう)