Common Knowledge Management : ポリフォニックな会議の提案

マネジメントについても語れることが溜まっていった分野から語っていこう。
というわけで、ナレッジマネジメントについてポロポロと語る。

ナレッジマネジメントの分野でも、Common Knowledge →共有知識(共通知識・共通認識)をマネジメントするような分野を今回は述べる。表出化の部分である。表出化→結合化→内面化→共同化となる、SECIプロセスの最初の部分? いや、思いついた話がここの話だったので、だって内面化の方法とか簡単にはおもしろいこと思いつきませんよ。

Common Knowledgeっていうのは、ゲーム理論の概念で、これを形成することで、同じゲームをプレイできるようになる。(関連文献として「儀式とは何か」「ゲーム理論と蒟蒻問答」「ゲーム理論[批判的入門]を最近読んだ)ひいては、ゲームをプレイして協調行動をとれるようになる。自分が知っていることを相手が知っていることを自分は知っている。。。のような認識の無限背進が共有知識の数学的定義となっている。

みんなが知っているということをみんなわかっているという状況を作りだすのが儀式の意義なのだというのが、「儀式とは何か」の主張で、クリアに理解できる話であった。

共有知識の論理(PDF)
共有知識の論理って、様相論理なのねー。知らなかった。
(「(→ ∀) 」ってのが、モナーが指でつつかれてる映像に見える僕は、論理学者失格でしょうか。論理学者じゃないけど)

そこで、共有知識のマネジメントとしての儀式という考え方を日々の生活や経営に応用してみよう。
日々の生活における儀式といえば、なんと言っても、会議である。
会議のマネジメントというのは関連本もいろいろ出ている。また、会議は時間の無駄という声は方々で聞く。会議という儀式をマネジメントするにあたって、共有知識の考え方を取り入れれば、いくらか改善されるのではないだろうか。そこで、改善の提案を行う。

会議という儀式の主たる目的は、参加者全員が事項について了解したということを確認するために行われる。みんなが知っているということを確認するために時間を費やすのだ。
しかし、中央からの放送型の会議は、参加者は暇である。もちろん聞いていることを態度で示さなければならない。このような態度を確認することが会議の主たる目的だからだ。
会議にはもう一つ目的がある。話し合うことで、新しいアイデアを持ち寄ることである。共有知識の表出化と同時に、共有知識の結合化や内面化も行う。意見を聞いてもらえない会議では共有知識は強くは内面化されない。弱く内面化する儀式だけならば会議でなく、集会である。
たくさんの意見を出して、異論反論を出したりして、最終的な決定事項には参加者のほとんどがコミットメントするような結合化と内面化をうまく行えるのが、成功する会議である。
しかし、世の中の多くの会議は、決定事項を儀式的に確認するものに過ぎなくなっている。国会とかね。そういう会議は会議で儀式的側面をうまく行えばいいのだが、何せ参加者は暇で暇で仕方がない。眠い。
そこで、今回はポリフォニックな会議を提案する。ポリフォニックとは多声的という意味であり、いろいろな意見がわらわら出る会議というものである。
音声による伝達だと、どうしても放送型になり、しゃべれない人が出てくる。
そこで、参加者全員の背後にプロジェクターで参加者のノートブックの中身を投影し、メッセンジャーで数人で会話をする場をいくつかつくる。また、参加者に意見やなんやかやを投影してもらうようにする。関連することを検索して表示する人や、議事録を書く人、議論を図式化してまとめる人、環境映像を流す人、延々ネタを考えては冗談ばかり表示する人など、いろいろな声が現れるだろう。
いくつかの画面をザッピングして把握しながら理解することは可能であるだろう。何かをしながら何かをするというのは割と自然で、暇だと思うということは認知能力が余っているということだから、その余った認知能力を使うように会議の形を変えればいい。
しかし、人間には認知限界があるので、あまり注意を分散させると、儀式的な共有知識の生成が滞ってしまう。しかし、ポイントポイントで決定事項をしっかり伝達する・議題に関係のない話題で盛り上がることは慎む等の基準を設けて、儀式的側面が軽視されるのを防ぐ。
儀式は大切なのだけど、なんてったって会議は暇なのだ。でも、興味ない議題は聞き飛ばすからなあ。アイデアを出すための会議で人数が10人くらいだと、行ってみるとおもしろいのではないだろうか。ブレインストーミングだと5人くらいが限界だけど、この形式なら10人〜20人くらいまでは可能だと思う。
これをうまく行えば、会議出席者の共有知識への理解が促進されると思う。つまり、ゲームの枠組みがよく把握されるようになり、ナッシュ均衡的な合意を得やすくなり、協調できる場合も増える。会議において有限回の囚人のジレンマ状況になっていて協調できないなんてのはどうしようもなくひどい会議だからね。ちゃんと共有知識を生成して、ゲームのかたちを把握して、よりよい均衡を目指したり、交渉の創造的解決を目指しましょう。


※ローカルトークSFC
講義型の授業も暇なので、ノートブックを開いて、講義関連情報やそうでない情報をブラウジングしたり、メッセンジャーで何か話したりしているのだし、SFCでは、なじみやすいと思う。場所はAVホールがそういう設備を備えているし。一度行ったことがあるのだが、まあまあだよね。議事録をリアルタイムで映しながら議論するのはためになる。ホワイトボードの代わりなんだけど。それより豊かだし。