調べ方を知っていることと、考えたことがあること

「本に金を出すなんて、気が狂っているとしか思えない」@MOSAIC
「積ん読」は、悪くないと思う@所謂走り書き

僕は、本はなるべく買わない派である。
しかし、ここ二年で二十万円以上は本を買ってしまっている。
僕のいるSFCは、図書館で無制限に本が借りれて、なおかつ本の種類も豊富(パソコンソフト攻略本が豊富だったりするのは素晴らしいと思う。小説は恐ろしく少ないけど)・慶應義塾大学の他キャンパスから取り寄せも可能。頼めば本も買ってくれる。という恵まれた環境なので、まず金銭の節約のために買わないようにして、十万円はあった入学祝の図書券を大切に使用してきたのだが、わずか数ヶ月で使い切ってしまった。主に買ったのは、美術書や建築関連の本・見てて美しい本と新しく出たすぐに読みたい本・教科書・リファレンス用の本少々。
最近は、お金がないので出たらすぐに読みたい小説と教科書以外は買っていない。

なぜ、本を買わない派なのかといえば、本は邪魔になるの一言に尽きる。実家には親の本が溢れていて、廊下にはみでたりしてる。(僕も引っ越すときにほとんどおいてきた。今でも溜まった本を送っている)アマゾンで売れば、けっこうなお金になるのだけれど、めんどくさい。ブックオフに買い叩かれるくらいなら、おいとく方がいい。
ストレージデバイスに本を溜め込めるようになれば変わるかもしれないが、そうなる前にオンラインストレージをみんなで共有して使用料を払うという風になってほしい。音楽については、今はストレージに大量に溜め込んでいる。音楽をエンコーディングしてHDに詰めて、CDは実家に置いてきた。旅立つときに色々なものを置いてきたのだ(くぅー、ハードボイルド)。
アップルのiTunesStoreモデルと月額使用料金モデルのどちらも必要で、拡充してほしい。現在のモバイル環境では、iPodにいれて持ち歩けない音楽なんて使えないもん。本でも同様の状況になるのかな。

本には、二つの読み方があって、知識を調べられるようにするための読み方と、考えるための読み方である。
リファレンス用の実用書は、調べるために手元に置いておくのはありだが、使用頻度による。図書館へのアクセス性と買って置いておくコストを秤にかけると、厳選せざるをえない。調べ方を知っていればそれは知っていることとほとんど同じなのだってことを理解していないと、有効な学習はできないと思う。無理な暗記はつまらない上に、これからはどんどん価値が下がっていく知識を労力を浪費して覚えることになる。実用書はさくっと読んでおけばいいのだ。(調べ方を知っておくのも結構大変なんだけど)
考えるために読む本は、読んで一度考えれば、ほとんどの本は必要なくなる。学習のために読む場合は、考えて喋れて使えればいいので、ある程度考えながら、さらっと読めばいい。さらっと読んで今後の使用において重要そうならば、リファレンスできるようにしておくのもいい。(経済学の教科書とか)考えたことがあれば、その後も考えて喋れて使えるのだから。
しかし、ただ考えるために読む本は、真剣に読んでしまう。読書の素晴らしい部分はここにある。小説なら体験をシミュレートできるし、思想書なら他人の思考をシミュレートして自分の思考と比較検討できる。
その中でも、何度も読み返したくなるような美しいもの・読み返すたびに考え直したりして思考がインスパイアされるものは、見て楽しい美術書と同様の理由で、手元に置いておきたい。

おお、論理哲学論考野矢茂樹の新訳が出てたのですね。読んでみます。
分析哲学が好きだと、a href="http://web11.sfc.keio.ac.jp/~s02840sm/weblog/archives/000009.html"以前書いたんだけど、論理哲学論考は最高です。

論理学的には、現代論理学の意味論を基礎付けたものとして、
哲学的には、コミュニケーションの限界を基礎付けたものとして、
非常に影響を受けた。
大修館書店版の赤と緑の本を、大きな教科書に隠して、中学生の頃に三ヶ月間くらい読んでいた。(その後も読んでる)
キャッチャー・イン・ザ・ライ」の村上春樹訳なみに泣ける、と個人的には思う。

永井均「ウィトゲンシュタイン入門」
黒崎宏「『論考』『青色本』読解」
が、おもしろいです。