生産性を向上させる方法

続・「生産性」という言葉から独り言

長期的には生産性の向上だけが、生活水準を向上させられる。
消費によって効用を測るならば、生産性の向上が大切。
(消費ではなく、精神的効用とか考えてもいいけど、それだと宗教とかで幸福になる、ってなる。ありなんだけど、弱いよね)

知識はコピーできる。
これのみが結局のところ生産性を向上させる。
テーラー主義だって、生産方法という知識がコピーできるから生産性を向上させることに成功した。

つまり、思想のみが人の幸福を増大させうる。

コンテンツのコピーを許容すれば、消費できるものが増え、人を幸福にできる。
思想のコピーを許容すれば、人を幸福にできる。
どんだけ、うまくコピーできるようにするかが、重要。
教育って、知識をコピーする方法論。

イノベーションってのは、知識を創造して実現すること。
革新ってのは、新しい思想を実際に実現することだからね。
イノベーションの核となるのは、思想とそれをどんだけうまくコピーして、生産につなげるか。

知識を生み出すインセンティブ=社会的に有意義な生産につながる形の知識を出させるためのインセンティブが、著作権
社会的にさほど有意義でない、宗教的や哲学的な幸福をつくりだす知識を生み出してもらっても、社会は消費を増やせない。まあ、こういう知的快楽を生み出すのも大切なんだけどね。昔は、貧しかったから、こういうところで快楽を生み出すのがメインとなっていた。仏陀とかキリストとかプラトンとかね。
著作権ってのは、人に社会的なことを考えさせるためのインセンティブを提供するね。売れる作品をつくるようにアーティストに仕向けないと、どうしようもないものつくるしね。いや、好き勝手やったのが偶然受け入れられることもあるけどさ。

知識をどんだけうまくコピーして=広めて教育して、人を束ねて、モノを束ねて、生産するかが、経営の根本。
やり方を考えて、それを実行する。
考える部分+実行するのをうまくやる部分でイノベーションを起こすんだけど、知識をコピーする=教育する部分をどんだけうまくやれるか、それが根本的な問題。
コンピュータならば、コピーが簡単にできる。これは、本当に革命的。これを経営にどれだけ取り込めるか。
新しいやり方を考えることに人を使うことがメインになっていく。
教育=知識のコピー+新しい知識をつくることが経営。
コンピュータを教育するのは簡単。人を教育するのは大変。
コンピュータは新しい知識を生み出せない。人は新しい知識を生み出せる。

新しい知識を生み出しても、殆どの知識はできがよくなくて捨てられる。コンピュータはもちろん人にだって、的外れな知識より、いい知識をコピーした方が生産性は向上するからね。
当たりを出す方法は、研究開発方法だよね。これも経営。でも、まあ、経営の多くはオペレーションに割かれるよね。中間管理職だとなおさら。

・知識をどれだけ定型化・標準化して、教育コストを下げられるか。
・コンピュータをどれだけ利用できるか(コンピュータはコピーが簡単)
がオペレーションの本質。
それに、知識生産の質を足せば、経営が出来上がる。
末端での知識生産も大事なんだけど、それを広めれるかたちにしなければ、生産性の向上はわずか。
末端部分で、こつこつ生産性を向上させるのも大事なんだけど、それだけでは、人の幸福にあんまり貢献しない。それをみんなができる形にしないとなんない。
コピーできるようにして、みんなが簡単にやれるようにして、生産性を向上させること、これが経営の本質。

いつか、コンピュータとロボットが働いてくれて、皆がやり方を考えたり、コンテンツを考えたりして、暮らせる。しかも、基本的な生活は働かなくてもできるようになる。
もう、なんぼか、なってるかも知れない。
そういう世界をつくるようにする。

定型化・標準化→コピーしやすさが、生産性向上においてはとても大切だと思った。
革新的な思想はそれより大切だけど、経営者は革新的な思想を考えたり・探してきたりすると同時に、それを実行にうまく落とし込むことが仕事。
無駄な努力を減らして、効率的に生産できるようにする。そのためには、知識を広めて実行する。

日本企業は、ブルーカラーの生産性は高くて、ホワイトカラーの生産性が低いらしい。ホワイトカラーの生産性はパソコンをちゃんと使えばめちゃめちゃ高められる。これを、やる。
日本は、基本的に教育水準が高い。パソコンを簡単なかたちでみんなちゃんと使えるようなるっしょ。そうした上で、知識のコピーによるレバレッジを活用しまくる。生産性向上するよ、これ。
徹底的にやる。徹底的に。
めんどくさい事務処理をどれだけコンピュータにやらせられるか。めんどくさいことをコンピュータとネットワークを使ってどれだけ簡単にできるようにするか。実はめちゃめちゃやらせられるし、簡単にできるんだよ。世の中のけっこう多くの仕事は無駄だと思う。そんなことコンピュータにやらせればいいじゃんって仕事が多過ぎる。
人間的なコミュニケーションよりも生産性の方が大切なんだよ。仕事は人間的なコミュニケーションをする場ではないんだよ。アウトプットを効率的に生産する場なんだ。

結果は、あんまり一生懸命に学習して働かないでも、それなりに暮らせる仕事ができる。年収300万円くらいだけど、まったりくらせる。
学習も労働もつらい人にはつらい。きつい労働は機械で代替。きつい学習→創造的思考は少数の知的快楽依存症者に任せるようになるのでは。学者は知的快楽依存症で、芸術家は美的快楽依存症。普通の人はぼーっとしながら暮らしたいんだと思う。

僕は、基本的に、ぼーっとしながら暮らしたい。ぼーっとしながら暮らせるような社会にしたいね。
知的快楽や美的快楽を求めるのは、脳の調子が幸福ではないときに無理矢理依存症状態にして、脳内伝達物質とかがんがん出すための方法として求めてて、ぼーっとしていても幸福なときはぼーっとして暮らしていたい。
幸福なときの幸福な人は、きつい学習→創造的思考をする仕事なんかしたくないと思う。
おいしいご飯・心温まるコミュニケーションとかを、求めてる人が多いと、経験的には思う。
きつい学習→創造的思考をする仕事なんて、アディクション(中毒)だと、思われるようになるのではないか。