いつも卵のそばにいて

村上春樹、エルサレム賞受賞スピーチ試訳: 極東ブログ

村上春樹のスピーチ「Always on the side of the egg」=「いつも卵のそばにいて」の対訳と、その反応をブログでいろいろと読んだ。
しかし、個人的にとれるようなメタファーを、村上春樹がうまく使っているにも関わらず、そこには触れないで政治的な話ばかりに終始するブログか、翻訳して意味をとっているブログが多かった。
それは、オバマ大統領の大統領就任演説を、「彼の祖母の死という事実」が、アメリカの何かの伝統の死のメタファーとなっているということなしに聞いても、隔靴掻痒であるのと同じようなものである。
「政治的な事柄については、個人的にとらないでくれよ」なんて、こういう場合の叙述の倫理ではないだろう。
本人だって、父の死の話だって言っているんだから、下世話な解説をしてもよいはずだ。
ということで、メタファーを中心に部分的に超訳で抄訳したものを以下に載せる。
メタファー部分がメタファーとしてわかりやすくなるように、こなれなく訳した。
これが正しい訳ではまるでない。(括弧内に解説をつける)
正しい訳は、リンク先をどうぞ。

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

「高さとしての固き壁と、それにむかって壊れる一つの卵の間で、私は常に卵の側に立つつもりだ」

(高さ=壁がメタファーとなる。卵とは、仏教で心、一神教で各人の一のメタファーである。村上春樹は、
神仏習合の人として、一神教の人に向かって話しかけている。神仏習合の場合、仏教的には、卵の中身は空である。神道的には、英語を流暢に喋る日本人=ヨークである。この場合、バナナではない。もちろん吉本ばななでもない)

What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.

このメタファーの意味は何でしょうか? あるケースでは、これは簡単単純です。ボンバーとタンクとロケットと白いフォスフォラスのシェルは、高さとしての固き壁です。卵たちは、力なきシビリアンで、それらによってクラッシュされて焼かれてしまいます。これが、メタファーの一つ目の意味です。

(これは、村上春樹の父親の火葬の風景の解説とするのがわかりやすい。火葬場は、焼き場と霊柩車と棺と白い燐の骨の殻からなる。フォスフォラス=燐が、フォスフォラス=明けの明星とかけてあって、高さのメタファーへとつながっている。そして、この場合、卵とは諸行無常の個々人であると同時に、焼かれていく死者の細胞の核でもある。高さとは、もちろん避けられない死と諸法無我のメタファーである)



この文章の後に、政治的な文脈へと話がつながっていって、おもしろく述べられている。
しかし、白燐弾=白いフォスフォラスのシェルの意味がとれなければ、このスピーチは感動的ではないだろう。アメリカ人にはエキゾティックで言及しにくいスピーチに、イスラエル人には神秘的で幽霊的なスピーチに思えるのかもしれない。
他人の死については、語りうるが、話者の身近な死についての話については語りにくいものだ。死はいつでも個人的なもので、戦争の話とは違うから。アメリカもイスラエルも戦時中なので、戦争と死の話題について述べるのは、勇気がいることなのだ。たぶん。